和歌山大空襲戦没者追悼法要 和歌山市で100人参列
2023年07月09日 18時32分
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)7月、アメリカ軍による和歌山大空襲で犠牲になった戦没者の追悼法要がきょう(7月9日)、和歌山市で営まれ、およそ100人が参列しました。
和歌山市では、1945年1月以降の空襲で、およそ1400人が犠牲になっていて、このうち、特に7月9日の夜から10日未明にかけての和歌山大空襲では、1100人以上が亡くなりました。
追悼法要は、空襲当時748人という最も多くの犠牲者を出した、和歌山市西汀丁の汀公園にある供養塔前で行われ、今年(2023年)は、新型コロナウイルス感染症の影響を受けることなく、来賓や遺族が参列しました。
追悼法要で和歌山市戦災遺族会の田中誠三(たなか・せいぞう)理事長は「終戦から78年が過ぎた今でも、目を閉じれば、あの地獄のような光景がよみがえり、万感胸に迫るものがある。悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、後世に継承していくことが、私たち遺族の責務。これからも命の重みと平和の尊さを訴え続けていく」と式辞を述べました。
この後、式典では、和歌山大学教育学部付属小学校6年の岡本惠津子(おかもと・えつこ)さんと重光可恵(しげみつ・かけい)さんが平和への願いを朗読しました。
この中で、2人は、「日本が昔、戦争をしたことは知っていたが、私たちの身近な和歌山でも多くの人が犠牲になっていたことは、6年生になって歴史の勉強をするまで詳しく知らず、当時の様子を知り、心が痛くなった」「誰もが悪いことだとわかっているのに、世界では、いまも戦争をしている国があり、傷ついている人たちがいる。生きている限り、平和について考え続け、自分の大切な人や大好きな街を傷つけないようにしたい」と語りました。
そして、伏虎義務教育学校と和歌山大学教育学部付属中学校の生徒が、田中理事長に千羽鶴を手渡しました。
終戦から78年を迎え、追悼法要を主催した和歌山市戦災遺族会の会員は、高齢化や後継者の不在で、およそ70人となっていて、200人近くいた10年前の半分以下にとどまっています。