陸奥宗光歿後125回忌 高野山で法要
2022年09月05日 18時54分
陸奥宗光の歿後125回忌の法要がこのほど(8月22日)、高野山の無量光院で営まれ、関係者が出席しました。
これは、「陸奥宗光・外務大臣」の功績を教育に活かす実行委員会が、毎年、陸奥宗光が亡くなった8月24日前後の日曜日に実施しているもので、今年は、紀州・宗光龍馬会とともに開催し、坂本龍馬の歿後154回忌と、宗光の孫にあたる陸奥陽之助(むつ・ようのすけ)の20回忌の法要もあわせて営まれました。
法要には、実行委員会の片桐章浩(かたぎり・あきひろ)顧問や臼井康浩(うすい・やすひろ)副会長ら4人が参列し、本堂には、無量光院の土生川正賢(はぶかわ・しょうけん)副住職ら6人の僧侶による読経が響き渡りました。
陸奥宗光の父で、紀州藩の勘定奉行だった伊達宗弘(だて・むねひろ)は、政争に敗れて田辺城下に幽閉され、当時10歳の陸奥宗光ら家族は、十里所払いとなり、和歌山城下の京橋から一里ごとに植えられた十里めの松まで歩き、その地に住んだとされています。
無量光院で営まれた法要には、十里松を大切に管理している十里松顕彰会の西岡裕宣(にしおか・ひろのぶ)会長と、家も財産も奪われた伊達家の人たちに家の離れを提供した当時の入郷村(にゅうごうむら)の庄屋を祖先に持つ玉置成朝(たまき・なりちか)さんも参列しました。
法要で、土生川副住職は、「無量光院で陸奥宗光伯の掛軸が見つかりました。命日月の8月中は、陸奥宗光伯と娘の清子(さやこ)さんの位牌に、毎日、お経を唱えています」と話しました。
また、実行委員会の臼井副会長は、「再来年・2024年の7月13日から15日にかけて陸奥宗光の尊敬した坂本龍馬を顕彰する全国龍馬社中の全国大会が、和歌山市で開かれることになりました」と報告した上で、「参加者が巡る、陸奥宗光のゆかりの地として、是非、無量光院さんにもご協力いただきたい」と呼びかけました。
ところで、和歌山城下を所払いとなり、働きながら必至に学問を身につけようとする陸奥宗光を支援するため、庄屋の玉置家や高野山麓一帯の実力者だった岡家の呼びかけで、無量光院の第26代住職が、江戸の高野山別院に出かける際、荷物持ちとして陸奥宗光を連れて行き、のちに自由に行動させることが内密に実行されたことが近年、明らかになり、実行委員会は、寺院への感謝の思いを込めて毎年、無量光院で法要を営んでいます。