海南市最後の和菓子店の木型 市教委が保存へ
2021年10月15日 20時52分
先月(9月)、70年以上の歴史に幕を閉じた海南市の和菓子店にきょう(10/15)、海南市教育委員会の学芸員が訪れ、この店で使われていた和菓子を作るための木型の保存に乗り出しました。
海南市日方の和菓子処やなぎは、戦後すぐに創業した地元の和菓子店で、2代目店主の柳昌亨(やなぎ・まさゆき)さん85歳は、高校卒業後に父の跡を継ぐことを決め、東京にある菓子の専門学校へ通い、卒業後は、大阪の和菓子店で修業し、28歳で2代目となりました。
最盛期だったおよそ30年前には、海南市内に13ほどあった和菓子店は、需要の減少や後継者問題などで徐々に減り、2年前からは、和菓子処やなぎだけになっていました。
海南市で創業し最後まで残っていた柳さんも、高齢と病気のため、廃業せざるを得なくなり、先月(9月)21日、店頭に「閉店のお知らせ」を掲示して70年以上の歴史に幕を閉じました。
こうした中、以前から柳さんと交流があった和歌山大学客員教授で、紀州の和菓子と文化を考える会代表の鈴木裕範(すずき・ひろのり)さんが、和菓子の木型を廃棄しようとしていた柳さんに保存を持ち掛け、海南市との間をつなぎました。
海南市日方にある店舗には、きょう午後1時半頃、海南市教育委員会の学芸員ら2人が訪れ、5つの段ボール箱に入れられたおよそ200個の木型を確認し、和菓子を運搬するのに使っていた木箱や商品の包装紙などとともに車両に積み込みました。
木型を受け取った海南市生涯学習課の矢倉嘉人(やぐら・よしひと)学芸員は「鈴木先生からお話しいただいて、海南市の和菓子屋さんの歴史を残していくためにも、資料として保管させてもらうことにしました」と話し、海南市歴史民俗資料館の野田泰生(のだ・やすお)館長は、「今後、和菓子だけでなく、資料館で保管している商店の看板なども含めて展示会を開けるよう取り組みたい」と話していました。
店を閉じた柳さんは、「2人の息子がいましたが、別の道を歩んだので、廃業の覚悟はできていました。90歳まで和菓子を作り続けるつもりでしたが、病気で少し早くやめてしまいました。閉店を惜しんでくれる人や、『他に手に入る所がなくて困る』と言ってくれる人、まつりのお餅を納入していたお寺や神社などから多くの声が寄せられました。木型がどのような形で活用できるのか、見当もつきませんが、展示されれば、是非、見に行きたい」と話していました。
閉店する和菓子店の木型を保存するよう働きかけた鈴木さんは、「海南市は条例や、お菓子の歌を作ったりしていますが、海南市生まれの和菓子屋の最後の一軒が消えるということは、海南の和菓子文化の歴史が見えなくなってしまうということ。これを何らかの形で保存し継承していく必要があると提案し、これに行政がすぐに反応して一歩を踏み出してくれたことはよかったと思います。次は、海南の街中にある和菓子屋が歩んだ道のりを、日方という地域の中に位置づけながら、市民の皆さんに知ってもらえるような展覧会を開いてもらえれば」と話しています。
きょう行われた木型の引き渡しには、和歌山市の老舗和菓子店「総本家駿河屋善右衛門」で使われていた木型の保存・展示に関わった和歌山市立博物館の元副館長、高橋克伸(たかはし・かつのぶ)さんも立ち合い、海南市の職員に、保存にあたって必要な作業などを伝えていました。