紀州大水害から70年、有田市の宮原小学校で慰霊祭
2023年07月18日 20時16分
和歌山県内で1000人以上の犠牲者を出した紀州大水害、いわゆる7・18水害の発生からちょうど70年となったきょう(7月18日)、有田市の小学校で慰霊祭が開かれ、子どもたちが、水害で亡くなった先輩の霊を慰め、体験者の話を聞きました。
7・18水害は、昭和28年、1953年の7月17日から18日にかけて和歌山県に降った大雨で、有田川や日高川が氾濫するなどしたもので、県内の死者と行方不明者はあわせて1000人を超えました。
当時の宮原村では、129人が犠牲となり、このうち20人が小学生、つまり宮原小学校の児童でした。そして、有田市立宮原小学校では、長年、学校の体育館で慰霊祭が行われてきました。
新型コロナウイルスの感染拡大後は、式典の参加を6年生に限るなど縮小しての開催が続いていましたが、今年(2023年)は、4年ぶりにすべての児童が体育館に集まり、地域の人たちも参加して行われました。
慰霊祭では、はじめに、参加した全校児童と教職員あわせて270人と保護者や地域の人たちおよそ60人が黙とうして、7・18水害で亡くなった20人の霊を慰めました。
体育館のステージ上に設けられた祭壇には、亡くなった20人の写真や、児童が作ったおよそ80個の竹灯ろうが飾られ、参加した児童らおよそ330人が、1人ずつユリやひまわりなどの花を手向けました。
慰霊祭では、70年前の水害を体験した、有田市宮原町の宮本康(みやもと・やすし)さん85歳が講演し、家族とともに、流された自宅の屋根に乗り、水の中に投げ出されながらも九死に一生を得た経験を語りました。
親戚を含めて9人で流された宮本さんは、7・18水害で祖父と2人のいとこを亡くしていて、話の最後に「私のような思いを皆さんにしてほしくないので、家に帰ったら家の人と相談して水害の時は、どこへ逃げるか、決めておいてほしい」と呼びかけました。
また梅本知江(うめもと・ちえ)校長は、挨拶の中で「こんなことは二度と起こってほしくないが、災害はいつか起きる。しかし、これまでの災害の教訓を活かして準備することで、被害を小さくすることはできる。皆さんは、教室で、災害が起きた時にどうすればいいかを話し合ってくれた。一番大事なことは、話し合ったことを行動に移すこと。自分の命は自分で守れる子どもになってください」と呼びかけました。
宮本さんの話を聞いた児童会会長の向山陽毬(むかいやま・ひまり)さんは、「私たちと同じ年齢で亡くなった人たちの話で、すごく悲しくなったし、水害を身近な恐怖と感じた。これからは、災害に備えるため、ここで地震や水害が発生したらどうするか、を考えていきたい」と話しました。
また、児童会副会長の石津亮太(いしづ・りょうた)さんと阪本勇人(さかもと・はやと)さんは、「水害があったらどこに逃げたらいいかを家族で話したことがあるが、防災バッグは用意できていない。6月2日の水害では、近くの川が氾濫してびっくりした。友だちの家の近くは危ないと言っていたので、怖い」「水害の恐ろしさを知ったので、水害が来たらすぐに逃げられるよう避難所を考えておきたい」と話しました。
有田市立宮原小学校では、7・18水害について、総合的な学習の時間などを使って学年に応じた学びを実践していて、きょうの慰霊祭では、6年生の2人、植田楓菜(うえだ・ふうな)さんと尾日向咲希(おびなた・さき)さんが作文を朗読しました。