和歌山大空襲から78年、記録映画上映&体験談展示
2023年07月08日 18時23分
1945年7月9日の和歌山大空襲からあすで78年となるのを前に、和歌山市立博物館できょう(7/8)、空襲の記録映画の上映会が行われました。
太平洋戦争で米軍が行った和歌山市への空襲は、1945年1月9日から7月30日までの10回とされていますが、その中で最も大規模だったのが、1945年7月9日の夜から10日未明にかけて和歌山市を襲った「和歌山大空襲」で、108機の大型爆撃機B29が飛来しておよそ800トンの焼夷弾を落とし、8万人以上の市民が被災し、1100人以上が犠牲になったとされています。
上映会は、和歌山市立博物館2階の講義室で午前と午後の2回、行われ、午前の部には、戦争体験者や小学生の親子連れら20人余りが訪れました。
上映された記録映画は、戦後50年を機に制作されたもので、和歌山大空襲で焼け落ちた和歌山城や丸正百貨店、空襲体験者のインタビューや、米軍が二里ヶ浜や和歌浦湾から上陸する様子などを紹介しています。
また、上映後には、旧制中学2年の時に被災した故・井田敬之助(いだ・けいのすけ)さんが自らの体験を文章と水彩画でつづった「空襲体験絵巻」が紹介され、市立博物館の元副館長で、退職した後もボランティアで空襲体験者の声を集め続けている高橋克伸(たかはし・かつのぶ)さんが、絵巻をスライドで示しながら文章を朗読し、当時の人たちが、火の粉の雨と旋風の中、炎と煙から逃げまどう様子を紹介しました。
上映会に参加した和歌山市に住む小学5年の男の子と母親の親子連れは、「和歌山県外にいた頃、和歌山市で空襲を体験した人から当時の話を聞いていたので、一度、こうしたイベントに参加したいと思っていた」とした上で、「映像を見て、和歌山市が真っ黒になってしまったのだと知り驚きました。ウクライナに知り合いが住んでいるので、毎日、心配していますが、戦争しても何もいいことはないので、早く終わらせてほしい」「戦争は死者が出るのでダメ。もう一度、やったら、和歌山市全部がダメになると思う」と話しました。
また、空襲当時4歳で和歌山市の郊外に疎開していた北浦紀久枝(きたら・きくえ)さん82歳は、「空襲で逃げ惑った記憶はありませんが、父が出征して不在の中、中心部に住んでいた母と姉が、空襲が終わった7月10日の夕方、疎開先にたどり着き、全身ドロドロになって声も出ない母親に抱きしめられた時の匂いが忘れられない」と語りました。
高橋さんは、2015年から和歌山大空襲の体験者への聞き取りを行っていて、これまで8年間でおよそ160人に話を聞き、2年ごとに話をまとめて和歌山市立博物館の1階・玄関ホールで上映会にあわせたパネル展示を行ってきました。
和歌山市立博物館主催の今年のホール展示には、この2年間に新たに話を聞いた24人の体験談が展示されているほか、実際に投下された焼夷弾や、夜間、外に明かりがもれないよう電球にかぶせていた電灯カバー、B29爆撃機の機関銃などが展示されています。
高橋さんは、「次回、2年後は、戦後80年の節目の年。新たな声を紹介するとともに、集めた声を何かの形でまとめて発表したい」と話しました。
このホール展示は、来月(8月)20日まで開かれています。