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「紀州徳川家シンポジウム」東京の明治大学で開催

2023年01月28日 17時50分

イベント歴史・文化

専門家の基調講演やパネルディスカッションを通じて、紀州徳川家の功績を考える和歌山県主催のシンポジウムが、きょう(28日)東京の明治大学で開かれました。

きょうのシンポジウムのもよう(1月28日・東京都千代田区・明治大学)

県では、郷土・和歌山にゆかりの深い偉人を検証するシンポジウムを、2011年度から毎年、明治大学と共同で開いていて、これまでに、南方熊楠(みなかた・くまぐす)や、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)などをテーマに基調講演やパネルディスカッションを繰り広げてきました。9回目となる今回は、徳川御三家で唯一、征夷大将軍を輩出した紀州徳川家が、江戸時代や近代で果たした役割を振り返りました。

読売日本交響楽団の弦楽四重奏

はじめに、読売日本(にっぽん)交響楽団が、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」など、紀州徳川家第16代当主・頼貞(よりさだ)ゆかりの南葵(なんき)音楽文庫に関連する曲を演奏しました。

続いて、元・TBS記者で「逆説の日本史」で知られる、歴史作家の井沢元彦(いざわ・もとひこ)さんが基調講演しました。

基調講演する井沢元彦さん

この中で井沢さんは「紀州徳川家は、一言で言えば徳川宗家(そうけ)の子孫が滅びそうなときの保険。苦労人で慎重な徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉が滅ぶ様子を見て、皇族の宮家(みやけ)のシステムから学んで徳川御三家を発想したのではないか」と見解を示したほか、舗装路がほとんど無い平安末期の日本で、熊野古道には石畳の舗装が施された理由について「都の上皇(じょうこう)や法皇(ほうおう)が頻繁に熊野詣(くまのもうで)に訪れたから」と解説し、阿弥陀如来(あみだにょらい)信仰の地・紀州の特殊性を強調しました。

パネルディスカッションのもよう

さらに、このあと行われたパネルディスカッションでは、井沢さんをはじめ、紀州徳川家19代当主の徳川宜子(とくがわ・ことこ)さんや、元・和歌山県副知事で明治大学の山下茂(やました・しげる)名誉教授、それに、読売新聞東京本社・文化部の清岡央(きよおか・ひさし)記者が、紀州徳川家にまつわる考察やエピソードなど、活発な意見交換を行いました。

井沢弥惣兵衛の功績を語る明大の山下名誉教授

この中で明治大学の山下名誉教授は、紀州藩の土木技師で、8代将軍・徳川吉宗(よしむね)の命を受け、江戸周辺の新田開発のための用水路「見沼代用水(みぬまだいようすい)」を整備した、井沢弥惣兵衛(いざわ・やそべえ)の功績を紹介し「弥惣兵衛の”紀州流(きしゅうりゅう)”と呼ばれる技術が、後世にパナマ運河に応用されるなど、紀州の技術が世界を拡げていった」と強調しました。

会場には首都圏を中心に多くの参加者が訪れ、紀州徳川家への関心の高さを伺わせました。

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