和歌山大空襲の跡を歩く ドキュメンタリー映画製作中
2022年08月17日 19時14分
終戦の年、1945年7月9日の夜から翌10日の未明にかけてアメリカ軍・B29の焼夷弾投下によって1100人以上が犠牲となった和歌山大空襲をテーマに、ドキュメンタリー映画の制作が進められています。
映画を制作しているのは、和歌山大学観光学部の木川剛志(きがわ・つよし)教授45歳。映像作家でもある木川教授は、太平洋戦争で、和歌山市が最も大きな被害を受けた和歌山大空襲について、2020年の末頃からドキュメンタリー映画を作り始めています。
7月10日に行われた、市民団体「わかやま楽落会」主催のまち歩きイベントには、およそ50人の一般参加者とともに木川教授も参加して大空襲の被災地を巡りました。
このまち歩きには、和歌山市立博物館の元副館長で、和歌山大空襲を経験した人たちの聞き取り調査を7年前から続けている高橋克伸(たかはし・かつのぶ)さんも参加し、体験者の声を紹介しました。
また、イベントには、空襲体験者も参加し、内川沿いの遊歩道を歩いた一行は、京橋プロムナード近くで足を止め、和歌山大空襲を体験したこの84歳の女性から、内川に飛び込んで空襲の炎から難を逃れた後、艦載機による銃撃にも遭った体験談を聞きました。
高橋さんは、今後も空襲体験者からの聞き取りを続けることにしていて、来年、およそ150人の聞き取り結果をまとめて発表することにしています。
こうした高橋さんの取り組みは、現在、制作中の和歌山大空襲をテーマにしたドキュメンタリー映画にも登場する予定です。
都市計画などを専門とする木川教授は、日本初の国際観光映像祭を立ち上げ、現在も代表を務めるなど、映像の分野にも精通していて、これまでに別のドキュメンタリー映画を制作しています。
今回、和歌山大空襲をテーマとした理由について、木川教授は、「戦後の都市計画や和歌山の文化は、空襲を境に大きく形を変えてきたと思うし、できあがった今の形を見る時、市民は、その源を空襲に求めていると思う」と指摘し、「空襲のことが、あまり語られない中、私たちが想像できないようなことが、かつてあったことに、あらためて向き合い、この先の和歌山のまちを考えていく必要がある」と強調しました。そして、「私の目で見た映像を紡いだ映画を鑑賞することで、皆で討論できるようになるものができれば」と話しました。
和歌山大空襲の跡を巡るイベントには、和歌山大学観光学部の学生も参加し、ハンディカメラや集音マイクを手に参加した人の話や様子を記録していました。
大阪府出身の3年生、増本有花(ますもと・ゆうか)さんと、愛知県出身の2年生、黒川菜々美(くろかわ・ななみ)さんは、「和歌山での戦争のイメージがなく、空襲があったことを知らなかった。赤ちゃんの遺体の話などを聞いて、戦争は絶対してはならないと思った」「歴史の教科書でしか知らなかったので、勉強になったし、忘れてはならないことなので、直接、話を聞く機会が持ててよかった。出身地でも空襲があったことを知ったので、そちらのことも調べてみたい」と話していました。
制作活動の中で学生に新たな気付きを与えている和歌山大空襲をテーマにしたドキュメンタリー映画は、100分程度の長さになる見込みで、再来年の2024年3月までに完成する予定です。