道成寺書院の襖絵 谷井翠山の作品か
2021年12月14日 16時51分
紀州徳川家によって建てられた日高川町の道成寺書院の襖絵を描いた画家、翠山(すいざん)とはだれだったのか、その謎を解く研究調査会がこのほど(12/11)道成寺で開かれ、植物の芭蕉(ばしょう)と山水図(さんすいず)の2つの襖絵は、和歌山ゆかりの日本画家、谷井翠山(やつい・すいざん)の作品であることがほぼ確実になりました。
安珍清姫や髪長姫伝説で知られる天台宗寺院・道成寺の書院は、江戸時代に紀州徳川家が寄進し、内部は松や馬などを杉の板に描いた板絵や皇族が立ち寄りに利用したきらびやかな上段の間(ま)などすぐれた建築文化がみられ、和歌山県指定文化財になっています。
2つの襖絵は、書院の寄付(よりつき)と持仏(じぶつ)の間(ま)の仕切りの2間半、およそ4メートル50センチの両面の襖絵4枚で、ひとつには、芭蕉が勢いよく茂るさまを躍動的な筆遣いで、もうひとつは静かで穏やかなタッチで山水村落(さんすいそんらく)を描いた水墨画です。
そして、絵には「翠山」の落款(らっかん)があります。
このため、道成寺院主(いんじゅ)の小野俊成(おの・しゅんじょう)さんは、美人画で知られ、近世の京都画壇で活躍した三木翠山(みき・すいざん)だと考えてきました。
ところが、一か月前に書院の調査に訪れて襖絵を見た御坊市文化財研究会会員で、郷土の多方面の人物について研究をしている大谷春雄(おおたに・はるお)さんが、画風や落款から、襖絵の作者は三木翠山とほぼ同じ時代に京都画壇で活躍していた谷井(やつい)翠山のものと結論付けました。
谷井翠山、本名・谷井藤楠(やつい・ふじくす)は、明治11年、御坊市内の旧家・津本家に生まれ、結婚して谷井姓に改名しますが、画家として東京、京都の画塾に属し、作品を発表しています。しかし、その力量は評価されつつも、京都画壇における位置や美術年鑑などに名前がないことなどから、画業は、同じ雅号をもつ三木翠山の陰に隠れ、美術専門家の間でもほとんど話題にされてきませんでした。
大谷さんは、およそ20年前に茶席で見た翠山の作品に惹かれて、折を見て翠山ゆかりの人びとを訪ねる一方、御坊市内の寺院や旧家に残る作品を見つけ出してきました。
今月11日の研究会は、道成寺の小野院主(いんじゅ)の立会いのもと、大谷さんの呼びかけで、県立近代美術館や県文書館の美術、古文書専門家のほか、津本家の子孫で翠山が自身の作品であること記した「蓬莱山水之図」を所有する津本敦郎(つもと・あつろう)さんらが参加して開かれ、作品を前に意見交換しました。
席上、県立近代美術館学芸員の藤本真奈美(ふじもと・まなみ)さんは、「さらに多くの作品を集めてみていく必要はあるが、十中八九、谷井のものと考えていいのではないか。力量のある画家であったことは間違いない」と感想を述べました。
大谷さんは、「谷井(やつい)は、埋もれたふるさとの偉人。今後は美術館の調査に期待したい」と話しています。