県立医大生、沖縄戦没者遺骨収集に参加

2021年09月07日 18時55分

歴史・文化社会

和歌山県立医科大学の教授と学生がこの夏、沖縄県で行われた戦没者の遺骨収集に参加し、このほど(8/27)、結果をまとめて発表しました。

県立医科大学で行われた報告会(2021年8月27日)

沖縄県での遺骨収集に参加したのは、県立医科大学法医学講座の近藤稔和(こんどう・としかず)教授と2人の学部生です。

沖縄県では、太平洋戦争末期に日米両軍による激しい戦闘が行われ、民間人を含めたおよそ20万人が命を落としたとされ、犠牲者のうち、3千柱以上の遺骨がまだ見つかっていないとされています。

近藤教授は、遺骨収集に取り組む沖縄のグループからの協力要請を受けて、自らが理事長を務める日本法医病理学会のメンバーとともに、4年前から沖縄県での遺骨収集に携わっていて、今回、初めて法医学講座の学生と一緒に参加しました。

今年の調査は、先月(8月)10日に別の大学の研究者や遺骨収集のボランティアらあわせて12人が参加して行われ、沖縄戦当時、侵攻してくる米軍から逃れるため、住民や軍人が逃げ込んだ、沖縄県糸満市にある自然の洞窟「ガマ」と、その周辺を調査しました。そして、遺骨収集に参加した県立医科大学4年の松木順平(まつき・じゅんぺい)さんが、このほど、近藤教授とともに大学で記者会見して報告しました。

調査内容を報告する松木さん

それによりますと、調査した2つのガマに残されていた骨の部位や数から、小さな子どもから高齢者まで少なくとも8人が存在していたことがわかったということです。このうち、1つ目のガマには、黒く焦げた骨の一部と米軍の手榴弾の欠片(かけら)とみられる遺留品が遺されていたことから、松木さんは、「このガマへ逃げ込んでいた子どもら3人の至近距離で手榴弾がさく裂し、骨まで焼かれたのではないか」と説明しました。

初めて遺骨収集に参加した松木さんは、「私は一日、参加しただけで熱中症になってしまいました。戦争当時も、私が体験したような蒸し暑い時期で、戦争によるひどいストレスの中、飲み物も食べ物もなく、逃げまどっていた人たちの思いを実感しました」と話していました。

記者の質問に答える近藤教授

また、近藤教授は、遺骨収集の課題について、「DNA鑑定をするにあたっては、現地で遺骨を収集した専門家が、骨の状況から鑑定にあたっての必要なアドバイスをするのが適切だ」と指摘し、「戦没者の身元確認作業を行うための専属の機関を国が作り、専門家が協力するという体制が必要だ」と訴えました。

近藤教授らが参加した遺骨収集の報告については、県立医科大学のホームページで公開されています。

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