和歌山大空襲から76年、記録映画上映に定員超の希望者

2021年07月10日 18時27分

歴史・文化災害・防災社会

1945年7月9日の和歌山大空襲から76年を迎え、和歌山市立博物館では、きょう(7/10)、午前と午後の2回にわけて空襲の記録映画の上映会が行われました。

太平洋戦争で米軍が行った和歌山市への空襲は1945年1月9日から7月30日までの10回とされていますが、その中で最も大規模だったのが、1945年7月9日の夜から10日未明にかけての「和歌山大空襲」で、108機の大型爆撃機B29が飛来して焼夷弾を落とし、8万人以上の市民が被災し、1100人以上が犠牲になったとされています。

上映会が開かれた和歌山市立博物館2階の講義室には、100の座席がありますが、新型コロナウイルスの感染対策として、半分の50席のみの使用としたため、午前の部では、座席数以上の希望者が訪れ、入室を断る場面もあるなど、市民の関心の高さを示していました。

上映された記録映画は、戦後50年を機に制作されたもので、和歌山大空襲で焼け落ちた和歌山城や丸正百貨店、空襲体験者のインタビューや、米軍が二里ヶ浜や和歌浦湾から上陸する様子などを紹介しています。

映画の上映後には、旧制中学2年の時に被災した故・井田敬之助(いだ・けいのすけ)さんが自らの体験を文章と水彩画でつづった「空襲体験絵巻」が紹介され、去年の春まで市立博物館に勤務し空襲体験者の声を集める取り組みを行っていた高橋克伸(たかはし・かつのぶ)さんが、絵巻をスライドで示しながら文章を朗読しました。

また高橋さんは、和歌山大空襲では、米軍が一晩で800トンの焼夷弾を投下したことを説明し、熱風から逃れるため川に飛び込んだ空襲体験者が、沈まないよう死体にしがみついて生き延びたという体験談を紹介しました。

上映会の参加者のうち、当時4歳だった80歳の男性は、「当時、住んでいた中之島地区は、焼け残って助かり、焼け跡で三輪車に乗ったのを覚えています。二度とこんなことが起きないようにしないといけないと思いました」と話し、終戦の翌年に生まれた75歳の女性は、「五條市に住んでいたので、被災しておらず、親も空襲体験がなかったので、今回、参加しました。川にいっぱい死体があっても怖くなったという話を聞いてびっくりしました」と話していました。

また、33歳の男性会社員は、「これまで広島の原爆ドームなどを訪れてきましたが、和歌山のことについては無知だったので、今回、上映会に参加しました。800トンの焼夷弾を浴びたというのが驚きで、あらためて戦争は、あってはならないと思いました」と話していました。

和歌山市立博物館では、今月(7月)23日まで1階の玄関ホールで、空襲体験者の体験談を記載したパネルをはじめ、実際に投下された焼夷弾や焼け溶けたガラス、夜間、外に明かりがもれないよう電球にかぶせていた電灯カバーなどを展示しています。

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