和歌山大空襲から76年・新型コロナでことしも法要は縮小開催に

2021年07月09日 19時11分

社会

和歌山市で1400人あまりが犠牲になった、昭和20年(1945年)の和歌山大空襲から76年が経ったきょう(9日)和歌山市西汀丁(にしみぎわちょう)の汀公園(みぎわこうえん)で追悼法要が営まれました。

ことしの法要のもよう(7月9日・和歌山市汀公園)

和歌山大空襲は、1945年7月9日の夜から10日の未明にかけて、アメリカ軍の爆撃機B29が和歌山市に焼夷弾などを投下して和歌山城周辺が火の海となりました。

このとき、和歌山市で1400人あまりが犠牲となり、このうち大半を占める748人は、避難先の汀公園で火災旋風(かさいせんぷう)に巻き込まれました。

焼香台に花を供える参列者

追悼法要は、和歌山市戦災遺族会の主催で毎年7月9日に行われていますが、去年(2020年)に続いてことしも新型コロナウイルスの感染防止のため、遺族会の役員と関係者のみが参列する規模を縮小しての開催となりました。

和歌山市戦災遺族会の田中理事長

梅雨空のもと、和歌山仏教会の僧侶6人が慰霊碑に向かって読経を行うなか、和歌山市戦災遺族会の田中誠三(たなか・せいぞう)理事長85歳らが焼香をして手を合わせました。田中理事長は「熱海の土石流のニュースを見て、あっという間に人が亡くなってしまう様子が大空襲と同じように感じられました。私たちは犠牲となった748人の思いをしっかり後世に伝えられているのか、これからも緊張感を持って取り組みたい」とあいさつしました。

汀公園の慰霊碑

13歳の時に大空襲から生き延びた経験を持つ和歌山市の89歳の男性は「無我夢中で和歌山城の堀に飛び込みました。いまでも、この公園の周辺を通るたびに大空襲のことを思い出します。何年経っても言葉になりません」と話し、慰霊碑を見つめていました。

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