「小野田寛郎翁歿後七年祭」 宇賀部神社で開催
2021年02月04日 21時17分
おこべさんの通称で知られる海南市の宇賀部神社(うかべじんじゃ)でこのほど(1/16)、「小野田寛郎(おのだ・ひろお)翁歿後七年祭」が執り行われました。
故・小野田寛郎さんは太平洋戦争時の1944年12月、フィリピン・ルバング島に派遣され、以来30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続けた後、1974年3月、作戦任務の解除令を受け、51歳で日本に帰還しました。翌年、ブラジルに渡り、原野を開拓して牧場を経営し、その後、ルバング島での経験を生かして日本の子どもたちが、自然と向き合うことで、自分の本質を見出し、逞しく生きられるよう「小野田自然塾」を設立し、青少年の育成に取り組みました。
「小野田寛郎(おのだ・ひろお)翁歿後七年祭」は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大で、世界中が混沌とする中、小野田氏が、生前、よく語っていた「生きる」や「不撓不屈」といった人々を勇気づける言葉について学び伝えていこうと、和歌山県出身の偉人を讃え学ぶ活動をしている「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」が主催したもので、当日は、実行委員会のメンバーらが参列しました。
七年祭の後、実行委員会のメンバーと小野田さんを慕う有志の人たちで懇談会が開かれ、宇賀部神社の宮司で、小野田さんのいとこの子どもにあたる小野田典生(おのだ・みちお)さんは、小野田寛郎さんの遺した言葉や講演録から“死を選んではならない。なぜなら、人は「生きる」ために生まれてきたのだから”という言葉を紹介し、「新型コロナで自殺者が出ないよう、この言葉にふれてもらいたいし、いつでも相談に来てほしい」と語りました。
また、参加した和歌山県飲食業生活衛生同業組合の木下晴夫(きのした・はるお)副理事長は、「緊急事態宣言で、飲食業店やさまざまな企業が成り立たなくなっている。『生きる』こころ、『不撓不屈』の精神で苦境を乗り越えたい」と話していました。
主催した実行委員会の臼井康浩(うすい・やすひろ)副会長は「小野田翁の言葉の中に、《弱気になった時、自分の味方になってくれたのは『笑う』ことだった。『笑う』それは、神・降臨の光なのかもしれない》というものがありますが、その言葉のように、辛くなったら笑って前向きに頑張りたい」と小野田翁の遺影に誓っていました。